重力に戯れる愉しみ

最近はフリークライミングばっかり。

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富士山 御中道 2012年9月29日

「御中道」とは富士山の五合目、六合目付近を通り山体を一周する、全長約25kmの古道のこと。かつて江戸時代には、富士登頂を3度果たした者だけが、御中道を歩くことを許可されたという。

…な~んてことを書いていますが、ごく最近までそんな道の存在すら知りませんでした。

富士山滑走が毎年の恒例行事になり、メジャーどころは全て滑走済みともなると、やがて「~流し」などと呼ばれる沢筋のルートに興味が移ってきます。偉大なる先達の記録をWebで調べているうちに、「~流しを滑走後、御中道で登山口に戻る」云々の記述が目に付いたことがきっかけで、私も御中道の存在を知ることになったわけです。

昭和52年に発生した事故がきっかけで、御中道は廃道となったそうです。その後、大まかに言うと、山梨県側では遊歩道や吉田口ルートとしてかなりの部分が現役であるのに対し、静岡県側では宝永山付近を除く大部分が廃道となって現在に至っています。

廃道歩きというのがプチバリエーションっぽくて好奇心をそそられるし、一周すれば「~流し」の滑走ルート研究にも役立ちそう。ならば一度御中道を一周してみようかと思い付き、ここしばらくプランを温めていました。

今回の御中道初探訪は、思いがけず富士山達人の方々とお会いして楽しくお話もできました。

[gsimap act=”赤: 歩行”]

記録

日付2012年9月29日(土)
天気晴れ
ルート
  • 富士宮口新五合目 5:04
  • 不動岩 7:57/8:12
  • 大沢を横断 9:25
  • 大沢休泊所 10:12/10:15
  • 御庭小屋跡 11:26
  • 吉田口(スバルライン)五合目 12:07/12:13
  • 須走口六合目 瀬戸館 13:32/13:43
  • 送電設備跡 14:41
  • 富士宮口新五合目 15:51

雑記

台風が接近しつつある中、嵐の前の晴天を期待した一日。

9月末ともなるとかなり日が短くなりますね。富士宮口新五合目を出発したのはまだ薄暗い中でした。

御来光

御来光

新六合目から富士宮口ルートを少し登ったところで日の出になりました。こんなに綺麗な御来光が見られるなんて、良い一日になりそう。

御中道に進入

御中道に進入

今回は御中道を時計回りします。六合目の小屋跡(2604m三角点)付近で分岐する水平道が御中道への入口です。

黄色い「立入禁止」立札、その1

黄色い「立入禁止」立札、その1

ブルドーザー道との分岐に黄色い「立入禁止」の立札が立っています。この立札のおかげで御中道への道筋がハッキリ判るのは、なんとも皮肉。

影富士

影富士

朝靄に映った影富士がクッキリ見えました。

表大沢の右岸

表大沢の右岸に「お中道」のペンキ書き

とにかくペンキのマークがたくさんあるので、道迷いの心配はありません。最近は歩く人の数が増えているのでしょうか、踏み跡は予想以上に明瞭です。

箱荒沢2

箱荒沢2

箱荒沢2は幅広い滑床の沢で、これを横断します。

黄色い「立入禁止」立札、その2

黄色い「立入禁止」立札、その2

また黄色い立札が現れました。これもピッタリ御中道のルート上に立っています。

黄色い立札から水平方向に踏み跡がありますが、我々はそれから外れてやや上側にルートを選びました。

主杖流しを登る

主杖流しを登る

主杖流しの上部を見上げる

主杖流しの上部を見上げる

Webで事前に調べた情報では、滑床に「主杖流し」という赤いペンキ書きがあるとのことでしたが、見付かりませんでした。ペンキ書きは今回の我々のルートより少し下にあったのかもしれません。この主杖流しは山頂まで登り詰める好ルートだそうです。

大沢崩れを渡る部分の御中道は、最初は「一ノ越」という高い位置にありましたが、時代が下り大沢の崩壊が進むにつれて、「二ノ越」、「三ノ越」と低い位置に下りてきました。ただし、一ノ越の渡り場自体は歩行困難になっているものの、不動岩付近までは「一ノ越道」としてその後も古い道が残ったようです。

今回我々は最上部の「一ノ越道」を通るつもりです。主杖流しを少し遡上し右岸のルート入口を探すと、白いペンキマークが見付かりました。

桜沢

桜沢

その後もペンキマークを拾いつつ好調に進みます。滑床の鬼ヶ沢は楽に渡れましたが、その次の桜沢はザレて蟻地獄のようで、横断にちょっと難儀。

この辺りからペンキマークの間隔が長くなります。空は高曇りになってきて、天気の行方がちょっと怪しげに…。

不動沢を見下ろす

不動沢を見下ろす

不動沢を渡るのは、下部のニノ越道では沢床への落差が大きくちょっと面倒なようですが、一ノ越道では楽々です。

不動沢を渡る

不動沢を渡る

不動沢も滑床でした。

不動岩が見えてきた

不動岩が見えてきた

顕著な岩塔が見えるようになりました。これは不動岩と呼ばれ昔はもっと大きかったようですが、昭和45年に崩壊し、現存するのはその残骸のようです。

上部の岩場から不動岩を見下ろす

上部の岩場から不動岩を見下ろす

不動岩を見下ろす岩場まで来ました。ここから写真下部にある四角い白ペンキのマークまで下るには、ちょっと嫌らしいクライムダウンを強いられ厳しそう。岩場をもう少し登ってから大沢の左岸に抜けようとしましたが、どうも上手くいかない感じ。

岩場直下のヤブを漕いで突破

岩場直下のヤブを漕いで突破

結局、岩場を下って岩場直下のヤブを突破すると、白ペンキの場所までスムースに行き着けました。

不動岩の下で長めの休憩。岩にも登ってみました。フリクションがしっかり利く岩で、楽しく攀じれましたよ。

不動岩のテッペンから大沢を見下ろす

不動岩のテッペンから大沢を見下ろす

対岸である右岸を見ると、かなり下に作業用足場が組んであるのが判ります。

そして、右岸の我々より少し上の位置には、なんと右岸を登っている二人組の姿が。後でこのお二人と御中道の上ですれ違う形で会うことになるとは、この時は思いませんでした。

今回の記事は長くなったので3分割しました。Page 2 に続きます。


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